今回はハルトさんに体験談を教えていただきました!
ハルトさん
- 中学2年から卒業まで不登校を経験
- 30代男性
- 現在はITエンジニア
ハルトさんは、個人指導塾で勉強を再開して高校へ進学しました。
不登校になってからは朝起きてゲームして、パソコンで遊び、後はご飯を食べる、風呂に入る、寝るの「ザ・不登校」という生活だったんだって!
「どんなふうに回復したの?」と気になる方は読んでみてくださいね。
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中学校2年生から2年間不登校を経験|ハルトさんの体験談
私は現在、大手IT企業の正社員として働いている30歳の男性です。
会社ではITエンジニアとして働き妻と子供を養えるだけのお給料を頂ける充実した暮らしをしています。
しかしそんな私も中学校に入学してから馴染めず、中学2年生から卒業までの期間を「不登校」として過ごしました。
当時を振り返ると不登校になった理由は2つかなと思います。
病気が原因で周りについていけなくなった。
私が不登校になった理由の1つ目は同級生との身体能力、体力の差が出始めてクラブ活動ができなかったことです。
私自身は生まれつき身体的障害をもっており、体力の面で普通の子供と同じように過ごせませんでした。
小学生のときは同級生たちとの身体能力にそこまで差がないためドッジボールや野球、サッカーを一緒にできました。
ただ中学生になると身体能力に差が出始めて医者からもクラブ活動はNGと言われている私はクラブに入れず一人取り残されました。
今までは学校が終われば、同級生と晩ごはんの時間までスポーツや当時だったら遊戯王、ゲームをして遊んでいました。
しかし中学生になってからは授業が終わるとみんなクラブ活動にいきます。
今までは障害があっても、たまに休むこと以外は同級生と同じように過ごせていましたが、中学では同級生と違う人生を体感することになりました。
授業が終わると一緒に過ごす同級生がいない、また昼休みはクラブ活動で知り合った他クラスの学生と話すので私は孤立した学生生活になりました。
圧倒的に勉強ができず学校生活が面白くなかった。
もう1つの理由は私が圧倒的に勉強ができなかったことです。
当時は全く勉強ができずクラスでワースト1,2位を争うレベルの実力でした。
圧倒的に勉強ができないのだから授業なんて楽しくありません。
先生が何を言っているのか分からないのでノートを取るだけの作業でした。
一応ノートは取っていましたが復習やテスト勉強をしないので身につくはずがありません。
「クラブ活動をしないため友達ができない、勉強ができないから授業が面白くない」
これって学校に行く意味があるのか?
学校生活が1ミリも楽しくない私はだんだん学校にいかなくなり、中学1年生の途中から休みが多くなり中学2年生には不登校となりました。
不登校中の勉強方法と回復のきっかけ
中学2年生から卒業まで不登校になりましたが、高校生の時には不登校ではなくなりました。
理由は高校では授業についていく事ができ、友達もできたため学校生活が楽しいと感じたからです。
ここからは私が不登校から回復したきっかけをお話します。
自習、進研ゼミは私には合わず続きませんでした
不登校になって最も問題となるのが勉強がついていけなくなり、進路など将来が見えなくなることです。
母も私の将来を心配して不登校のまま、学校には行けなくても勉強だけはなんとかなるように様々な手段を考えてくれました。
まず中学2年生で不登校になり完全に勉強が分からなくなった私に対して母は教科書や問題集を使った自習を勧めました。
ただ元々勉強ができない子供が自習をしても分からないままページが一向に進まず、結局続きませんでした。
そんな私の姿を見た母は経済的に苦しいにも関わらず、別の手段として進研ゼミを契約してくれました。
ただせっかく契約してくれた進研ゼミも自習と同じく続きませんでした。
今思うと進研ゼミが続かなかったのは自習と同じく1人で黙々とやるスタイルで孤独を感じたからだと思います。
こちらの体験談を書くにあたり、最近の通信教育を調べると通信教育でも担当のコーチがサポートしてくれるモノもあるので、今の通信教育なら続いたのかな~と感じています。
個別指導塾に通い得意教科ができ自信がもてた
自習、通信教育をやるも継続しなかった私に対して母はそれでも諦めずに向き合ってくれました。
先ほどもお伝えしたように私の過程は経済的に苦しい環境でした。
そんな経済的に苦しい状況なのに母親は月に数万円かかる個別指導塾に通わせてくれました。
大人になってから母に聞くと「自習、通信教育が続かったのは教えてくれる人がおらず、孤独を感じてると思ったから、先生がいる個別指導塾なら続くと思ったから」と当時の様子を話してくれました。
そんな母の直感は当たっていました。
個別指導なので私のレベルに合わせて教えてくれ、分からないところは分かるまでやってくれる対応が私には合っていました。
学校は嫌いでしたが個別指導塾は好きでした。
塾では1つ得意科目を作る事が最初の目的で英語から始めました。
基本的に塾で習うのは英語のみですが、夏休みや冬休みの時期になると夏期講習、冬期講習で国語と数学も勉強しました。
英語に続いて歩みは遅いですが、徐々に定期テストの点数は上がってきました。
そこで私自身も勉強に対する自信が持てるようになり少しは進学について前向きに考えるようになれました。
個別指導塾でも成果もあり0点レベルだった英語、数学、国語の成績はちょうど人並くらいのところまで点数を上げる事ができました。
結果的には地元近くの偏差値40半ばくらいの私立高校へと進学しました。
高校の勉強が中学の復習だったため勉強をリスタートできた
高校時代の偏差値が低いことが私にとってはチャンスでした。
偏差値が低いので授業もいきなり高校の内容からスタートではなく中学校の復習から始まりました。
国語、数学、英語が人並に届くところ、理科、社会が壊滅だった私はそこでリスタートする事ができ徐々に5教科全体の成績が上がっていきました。
そして1年が経過するとクラスで1位を取れるまで成長しました。
ではクラスメイトとの関係はどうだったのか?
高校生になってもクラブ活動はあります。
ただ違ったのはクラブ活動をしない生徒がクラスの1/3いた点です。
また私の高校ではクラブ活動をしない場合、強制的に授業後に補習授業を受ける決まりでした。
通常の授業+1コマある感じです。
そうなると私を含めたクラブ活動をしない人たちは朝から6時くらいまで一緒に過ごすことになり自然と仲良くなっていきます。
勉強はできるようになるし友達もいる。
中学で躓いた私はまわりの環境のおかげでリスタートを切ることができました。
思い返すと当時の私にとって最高の環境だったとしみじみ思います。
その後は中学時代と違って受験勉強に励み有名私大の工学部へ進学できました。
そこからは最初にお伝えしたように大手IT企業の正社員(ITエンジニア)として働き、妻と子供を養えるだけのお給料を頂ける充実した暮らしをしています。
不登校生のママに伝えたいこと
当時を振り返り不登校の子供をもつ親御さんにお伝えしたいのは親が子供を信じてくれれば子供は復活できるし、親の愛情を子供はしっかりと分かっているという事です。
不登校になってからは朝起きてゲームして、パソコンで遊び、後はご飯を食べる、風呂に入る、寝るの「ザ・不登校」といった生活でした。
そんな不登校になった私に対して母親は寛容でした。
「学校に行きたくないなら行かなくてもいい」といった態度で見守ってくれました。
今思うと障害を持った息子が学校に行かないまま大きくなっていき、将来どうなるか不安だったと思います。
それなのに学校に行かなくていいと決断し、代わりに経済的に苦しかったのに個別指導塾に通わせてくれた母親には大人になった今でも感謝しています。
ハルトさんの体験談まとめ
ゲームして、パソコンで遊び、後はご飯を食べる、風呂に入る、寝るの「ザ・不登校」生活から進学した話はとても参考になりますね。
コレなら!と思った勉強方法が子どもに合わないこともやはりあります。
通信教育、オンライン家庭教師、塾など子どもによって合う勉強方法が違うので、いろんなものを試してみるのがおすすめです!
ハルトさんのように合う勉強方法が見つけられると、進学や就職に希望が見えますね!
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